っんにしても美鶴のヤツッ なにいちいち悩殺されてんだよっ!!
あんなキザ男のどこがいいってんだっっ!!
隠そうとしながらも頬を染める彼女の顔が、聡の胸を締め付ける。
いや、今の美鶴は、何もかもが聡の胸を締め付ける。
美鶴の足は、綺麗だと思う。
だが、言ってしまったその後に照れを感じ、山脇へ同意を求めてしまった。恋敵へ同意を求めてしまった自分を、情けないと思う。
本当のコトなんだけどなぁ〜
「別に大しておもしろくもないから、見に来てもつまんないと思うよっ」
補欠ばかりだった美鶴が初めて出場したテニスの試合。前日の、照れか気恥かしさを隠すようなぶっきらぼうな言い草が逆に興味をそそり、実はこっそり見に行った。後でからかってやるつもりだった。
―――――言葉を失った。
スコート姿でラケットを振り回す美鶴の姿に、視線を外すことができなかった。
きっとあの時には、すでに惚れてたんだな
からかう材料にするなんてとてもできなくて、美鶴には黙っている。それに、言えばきっとぶん殴られるに違いない。そういえば美鶴は、昔から口は少し悪かったかもしれない。
だが、今の美鶴と昔の美鶴とでは、明らかに違う。
昔はもっと ―――――
ゴロンと、身を捩った。
いつから美鶴に恋心を抱いていたのかと問われれば、正直聡にも答えがわからない。
「里奈、彼氏が出来たんだって。同じ塾に通ってる子だって」
里奈と美鶴は、小学校に入学すると同時に友達になった。
幼い頃から美鶴と親しかった聡は、里奈とも何度か会話を交わしたことはあった。だが、別段興味も沸かなかった。
それぞれ同性の友達ができ、その中で遊ぶことも多くなった。もちろんだからと言って、二人の仲が疎遠になったワケではない。
聡が引越して転校してからも、二人はちょくちょく会っていた。というより、聡はよく美鶴の家へ遊びに行った。
中学に入って美鶴は里奈と同じテニス部に、聡は空手部に入った。帰ってくる時間が遅くなった。
だが、時間を見つけては遊びに行った。その行為に、二人とも疑問を持つことはなかった。少なくとも、聡は当たり前のコトのように思っていたし、たぶん美鶴もそうだったのだと思う。
友達の家へ遊びに行く。友達が遊びに来る。
その程度のものだった。
聡が転校する頃、里奈は男子児童の間でちらほら人気が出てきていたようだ。聡もそれを知ってはいた。
里奈の人気は、美鶴には自慢でもあるようだった。
美鶴は、そんなヤツだった。
中学生になり、里奈は塾で知り合った男と付き合いだしたらしい。だが数ヶ月で別れた。そう美鶴に聞いた。
「でも里奈のことだから、きっとまたすぐ彼氏できると思うんだよね。だって可愛いもん」
その時聡は、美鶴の方がよっぽど可愛いと思った。
彼氏と別れた田代里奈が、その後、美鶴の想い人と密かに付き合っていた。
身を捩る。
澤村に振られたのと、あの女に裏切られたのと、どっちがショックだったんだろう?
美鶴が澤村という男に想いを寄せていたことは、美鶴が振られるまで知らなかった。
美鶴が他の男に想いを寄せていたという事実で頭がいっぱいになり、田代里奈の行為にまで、気をまわすことができなかった。
「仕方ねーじゃん」
振られて落ち込む美鶴の背に投げた言葉。そこに嫉妬が含まれていたのを、聡は認める。今なら認める。
澤村という男がどんな男なのか、聡は知らない。だが、それから一年以上たった今でも引きずっているのかと思うと、無償に腹が立つ。
それと同時に、結局想いを伝えることのできなかった自分にも、腹が立つ。
あの時、勇気を出して想いを告げていたら、美鶴はこんなに性格が捻くれることはなかった。なかったかもしれない。
なかったかもしれないし、美鶴が突然姿を消すこともなかったかもしれない。
すべては憶測でしかない。だが聡は、もう二度とあんな思いはしたくない。
もう逢えないのかもと諦めていた相手が、また目の前に現れた。このチャンスを是が非でも実らせたいと思ってしまうのは、いけないことなのだろうか?
誰にも美鶴を渡したくないんだ――――――
再び寝返った時だった。
コンコン
静かな音。
「お兄さん?」
声も静か。
だが聡は、そちらへ顔を向けることもなく、またそれに反応することもない。
「お兄さん」
うんざりとため息をつく。
「なんだよ?」
ようやくの声を待っていたかのように、カチャリと扉が開いた。真っ暗な部屋の中に、廊下の光がスッと差し込む。光を背後から浴びた人物は、逆光でその表情がよくわからない。
「お兄さん、今日、学校サボったでしょう?」
「よくご存知で」
「学校中の噂よ。当然だけどね。お兄さん、人気者だもの」
人気者という単語に皮肉めいたものを感じ、聡は口元を吊り上げた。
「親に告げ口か? ご勝手に」
「告げ口なんてしないわ」
「じゃあなんだ? 口止め料でもせびりに来たのか? 無駄だぞ」
「そんな野暮なことしないわよ。見くびらないで」
凛とした声が、少し不機嫌そうに響く。
「じゃあなんだよ?」
一向にこちらを向こうとしない兄に向かって、入り口の少女は目を細める。
「大迫美鶴さんのところへ行ったのでしょう?」
「そうだよ」
「一人で?」
返答に躊躇する。
「一人で? 山脇先輩も一緒?」
「だよ」
そこで初めて身を動かし、相手を見た。
母親の再婚相手が連れてきた少女。血の繋がらない妹は、親しみの感じられない声で短く答える。
「そう」
そして扉は閉じられた。
「なんなんだよ?」
自分が異母妹に嫌われているのは、聡も知っている。再婚にも乗り気ではなかったらしい。
母親の再婚相手、つまり聡の義父は会計事務所を経営している。
そこそこに腕も良く、市や県にも顔が利くらしい。故に顧客もそういった人間が多いと聞く。
事務所と続きの家は広く、家政婦なども雇っている。母と祖母、祖母が亡くなってからは母と二人で平屋暮らしをしていた聡には、この家も十分豪邸だ。
経済的にも潤っており、聡よりもよほど恵まれた環境の中で育ってきた妹は、自分が庶民と見下している人間達と家族となることに、矜持を傷つけられたらしい。年は一つ下であるにも関わらず、聡への視線は冷ややかだ。"お兄さん"という言葉にも、当て付けが込められているように聞こえる。
「二人とも名前が一文字なんて、奇遇だなぁ。まるで本当の兄妹みたいじゃないか」
目尻に皺を寄せて楽しそうに笑う義父の横で、不愉快そうに唇を噛む。
「公立の高校へ通う人と、同じ屋根の下で暮らすなんてヤだわ」
遠慮もなく言い放つ少女。
「唐渓へ編入もできないの?」
唐渓への編入は、並の学力では叶わない。聡はもともと勉強が得意な方ではなかった。
だが、彼にもプライドというものはある。
今思えば、挑発されたと考えられなくもない。彼女の言葉に奮起したのは確かだ。
あそこで頑張らなかったら、美鶴には会えなかったんだよな。
だが聡は、異母妹に感謝しようとは思わない。
唐渓に転入後も何かと見下してくる彼女に、親しみなど微塵も感じられないのだ。
でも、会えてよかったな
俺達、ひょっとして縁があんのかな?
首を伸ばして窓の外を見やる。
薄っすらと浮かぶ欠けた月。
満月に近い月の形に、大きく円らな瞳が重なる。
いや、そう簡単にはいかないな
浮かび上がる山脇の瞳を振り払うように、聡は急いで目を閉じた。
その円らな瞳が魅力であることに、本人は気付いていない。
いや、気づいていないというワケではない。ただ当人は、そこに魅力を感じないのだ。
山脇瑠駆真は窓ガラスに片手を添え、映る瞳を見つめた。その中には、自らの姿が映っている。
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